
イフィーは、その内容を掻(か)い摘(つ)まんで説明した。僕も後に、自宅でこの映画を見たので、以下には僕の理解も混ざっている。
主人公――原作では喜助(きすけ)だが、映画では幸喜(こうき)――には、弟が一人いた。
二人は、幼い頃に両親を亡くし、施設で育ったが、その後は、主に工事現場や飲食店の派遣労働で喰(く)い繋(つな)いでいた。貧しかったが、他に頼る者もなく、兄弟は互いに助け合って仲が良かった。
そのうちに、弟が難病に罹(かか)り、兄が一人で働き、看病もするようになって、生活は俄(にわ)かに逼迫(ひっぱく)した。
映画では、二人が、国家の救済から零(こぼ)れ落ちてしまい、生物としてただ生きているだけ、といった状態に陥っていたことが、痛ましいほど克明に描かれていた。凡(およ)そ、人間的な、基本的人権を尊重された生活とは言えず、悲痛だがまったく現実的だった。
他方で映画は、幸喜が弟との生活に、幸福を感じていた様子も濃(こま)やかに映し出していた。追い詰められて、浴室の脱衣所に座り込み、バスタオルを被(かぶ)って泣く場面のあとには、弟と一緒に、職場の休憩室からくすねてきたアルファベット・チョコを、隠語の綴(つづ)りに並べて、笑いながら食べてゆく場面が続いた。森鴎外の小説にある、「足ることを知る」という主題だと解説には書かれていた。
しかし、弟は、病気で臥(ふ)せるようになって以来、兄に申し訳ないと、ずっと思い詰めていた。その表情は、わずかに明るみかけた時でも、すぐに力なく陰ってしまう。
ある日、彼は、兄に安楽死を願い出る。けれども、幸喜は激高して、それに強く反対する。
弟は、それで口を閉ざすが、数日後、幸喜が仕事から戻ってくると、弟が、血塗(ちまみ)れになって、首に果物ナイフを刺している状態で見つかる。幸喜は急いで救急車を呼ぼうとするが、弟に強く引き留められる。自殺しようとしたが、失敗して死にきれなかった。兄にこれ以上、迷惑をかけたくはない。「もう十分生きたから、楽にさせてほしい。」と懇願し、ナイフを引き抜けばそのまま死ねそうだからと訴えるのである。
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May 10, 2020 at 03:00AM
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平野啓一郎 「本心」 連載第236回 第九章 本心 - 西日本新聞
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