宮部みゆき「ぼんぼん彩句」

宮部みゆきさんから、外出自粛で書店に行くこともままならない読者の皆様のためにサプライズプレゼント! 月刊「俳句」で不定期連載している『ぼんぼん彩句』という短編6作品をWEB上で期間限定公開します。俳句をモチーフに宮部さんが創造した物語たちは、物語が終わった後に、再度モチーフとなった俳句を読むと最初とはガラリと印象が変わるという仕掛け付き。毎日連載でお届けしますので、ぜひ「STAY HOME」週間を楽しんでくださいね。
>>「薔薇」第4回へ
確かに、その女は生身の人間ではなかった。
さりとて、怨霊でもなかった。一般的にわたしたちが考える「幽霊」というものでもなさそうだった。
「なんつったらいいのかなあ」
夜間受付のカウンターに腰掛け、長い髪を自分でかきあげながら、サエ姉の顔と声で、彼女は言った。
「この建物に出入りした大勢の人たちの想いね。生きてる人も、ここで死んだ人も、何かしら想いを抱いてるでしょ。それって一種のエネルギーなんだわ。でね、そういうエネルギーって、当の人間がその場からいなくなっても、切れっ端がちょっぴり残ってたりするのよね」
あたしはその集積なのよ、と言う。
わたしは彼女の足元に、あの金属製の扉にもたれてしゃがみ込んでいる。
「残留思念ということでしょうか」
「あ、それよ。うん、そんな感じ。だからあたしは一人じゃないのよね。いろんな人の残留思念の塊なの」
わたしは、こんな存在と顔をつき合わせている自分自身が信じられないながらも、彼女に気を許し始めていた。だって、彼女の方がケイタたちよりもよほど親切で、この表現が適当かどうかはともかく、人間的だったから。
「残留思念って、静電気みたいなもんだからさ。時間が経つと自然に消えてく。だからあたしを構成しているものも、だんだん入れ替わっていくのね」
サエ姉の顔で、彼女はにっこりする。
「こうしてあんたと会ったことで、今あたしのなかには、あんたの思念もちょっぴり混じってるの。あたしがあんたの発しているエネルギーを受け取ったっていうか、吸い取ったっていうか、そういう仕組みでね。だからあんたの記憶という静電気の流れのなかにある従姉さんの顔や声を真似ることもできてるってわけ」
わかったようなわからないような説明に、わたしはふんふんとうなずく。理屈はどうあれ、彼女の笑みには元気づけられる。
「ここはさ、戦前は結核患者のサナトリウムだったのよ。医学が進んで、結核が死の病じゃなくなってからは普通の総合病院になったんだけど、なにしろ足の便の悪いところにあるからさ、長続きしなかったんだよね」
昭和四十年代の初めから十年以上も空きビルとして放置され、民間の医療法人に買収されて老人医療施設として再オープン。しかし、時代が昭和から平成に移り変わる直前に、その医療法人が破綻してしまって、お金になりそうな備品や機器だけ持ち出され、建物はそっくり放置されることになり、現在に至る。
「ここは今、心霊スポットとして有名になってるようですが」
わたしの言葉に、彼女はうなずく。
「うん、知ってる。そりゃ、昔からいろいろいたもん。あ、出たもん、と言った方がいいのかもしれないけど」
病院だからね──
「希望もあれば絶望もある。死期を迎えようとしている入院患者の遺産のことばっかり考えてる家族の強欲も、事故や犯罪に巻き込まれて死んでいく人の無念や怒りも」
あらゆる残留思念が存在し、入り混じって濃厚なカクテルとなってゆく。それが病院という場所なのだ。
「だから、ちょっと前までは、この建物のなかで形を成しているのは、あたしだけじゃなかったのよ」
けっこう悪いものもいたし、怖いものも闊歩していたという。
「あらかた平らげてやるまで、苦労したわよ。お化け見物に来る物見高い生きた人間たちが入り込むようになってからは、そいつらの恐怖の思念を吸い込んで、悪いものが活気づいちゃったしね」
「あなたがそいつらを平らげた──退治したんですか?」
「うん。それがあたしの存在理由だから」
わたしの見間違えでなければ、彼女はちょっと胸を張った。
「いちばん最初にあたしの核になった残留思念はね、結核サナトリウム時代にここで働いてた院長先生と婦長さんのものだったの。二人とも亡くなったのは別の場所だったけど、長い期間、強い想いを持ってここにいた人だった」
だから、彼らの残留思念は、積極的にここを守ろうとするベクトルを持ったのだ。
「もちろん、月日が経てば二人の思念は薄らいで消えてゆく。でも、あたしを形作ったそのベクトルは残るから、その後もあたしは、ここを善い場所にしようと思う人たちの思念を新しく吸収し続けて、ずっと自分を成り立たせてきたわけ」
そして悪い残留思念と張り合い、それらを分解してきた。
「ぶっちゃけ静電気だからね」
そう言って、彼女は白い指を動かし、自分の肩のあたりをすうっと撫でた。かすかにぱちぱちと音がして火花が散った。
「今は、あんたのおかげで、あたしも元気づいてるわ。最近は、あんまし火花は出せなかったんだよね」
こうして見つめると、彼女の身体は半透明で、後ろにある窓枠が透けて見えている。何だか悲しくなって、わたしは胸が詰まった。
「くたびれたでしょう。一人で寂しかったでしょう」
気がついたら、そんな言葉を口にしていた。「ありがと。あんた、いい子ね」
わたしたちはお互いを慰め合うように微笑みをかわした。
「こんな恰好であんな出方をして、びっくりさせちゃってごめんね。ここへ入り込もうとする連中を脅かして追っ払うには、今のこの姿がすごい便利なのよ」
長い髪に触りながら、彼女は首をかしげる。
「あたしの時間の感覚って怪しいから、正確なことがわかんないんだけどさ。もう二十年ぐらい前かなあ。ここに入り込んでくる迷惑な連中の思念のなかに、決まってこの女の姿があったの。長い髪で白い服で、なぜか這い回ってるんだよね」
あまりにも大勢の侵入者がこの姿の思念を持っているので、真似してみたら、
「めっちゃめちゃウケたわけ。ていうか、こっちの方がびっくりするくらい怖がるわけ」
わたしは大きくうなずいた。「それ、たぶん有名なホラー映画の影響です」
「あらま、そうなの。ともかく効果絶大だから、ずっとこの恰好でさ。そしたら馴染んじゃって、もう他の姿に変われないんだ」
「この姿になる前は、どんなふうにしていたんですか」
「だいたいは院長先生の真似してた。立って歩いてたし」
「ここで火事があったというのは──」
「ああ、けっこう昔の話だけど、あたしはもう今のこの姿になってた」
放火だったのだという。
「あれもまあ、野次馬だったんだろうけどね。若者じゃない、もっと分別があってもよさそうな大人たちだったわよ」
何度か侵入を繰り返し、写真や動画を撮影し、霊能者だという女が建物内で「お祓い」をした挙げ句、
「ここを浄めるには焼き払うしかないとか言って、ガソリンをまいて火をつけたんだ」
彼女は肩をすくめた。
「まあ、あたしに会う前に、そのころはまだかなりの数うろついてた悪いものに遭っちゃって、怖がってたからね」
「あなたが無事でよかった」
「うん。消防や救急の人たちが来てくれたからさ。いいエネルギーをもらえた」
(つづく)
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May 18, 2020 at 10:07AM
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