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<ふくしまの10年・追われた土地の記憶>(9)一人で村に残り養豚 - 東京新聞

鎌田毅さんが建てた豚魂碑には豚の像とともに、豚の管理を手伝ってくれた愛犬の像も置かれている=葛尾村で

鎌田毅さんが建てた豚魂碑には豚の像とともに、豚の管理を手伝ってくれた愛犬の像も置かれている=葛尾村で

 鎌田毅さん(77)は二十六歳の時に結婚した。兄が出稼ぎ先でのけががもとで肺を患い、鎌田さんが跡継ぎとなっていた。

 一つの加入回線を複数の加入者が共同で使用する「地域集団電話」が葛尾村でも普及し始め、鎌田さんは日本電信電話公社(現NTT)から修理の仕事を請け負った。

 「電話修理は月二十七、八万円入ってきて山仕事もあったけど、子どもが上の学校へ行く時に足りない」。四十一歳の時に四千万円の借金をして、養豚を始めた。

 子豚を買って、育てて交配させて、生まれた子豚を売る。一キロで買った子豚が半年で一〇〇キロになる。母豚の体調管理が大切で、生まれた子豚は生後一週間から十日で育つかどうかが決まるという。

 「遊びに行ってると、生まれたばかりの子豚が母豚につぶされちゃったりした。遊びに行くとばちが当たるんだな。夜寝ないでお産を見守っていた」

 四人の子どもを育てた。養豚を始めた時と、親の時代の借金計六千万を十二年で返済した。「これからは退職金だ、七十五歳でやめよう、と思ってやってたんだけど…」。二〇一一年三月、思い定めた「定年」より前に、東日本大震災が発生し、東京電力福島第一原発事故が起きた。

 全村避難の後も一人、村に残って豚の世話を続けた。途中、えさの入荷が止まり、あばら骨が出るまで痩せた。四月末、各付けで最下位の「等外」で出荷を終えた。

 一四年、豚舎のあった場所に豚魂碑を建てた。

 <未(いま)だに続く仮設での避難生活に養豚もままならない乍(なが)ら、永年に亘(わた)り苦楽を共にし、生計を支えてくれた物言わぬものたちよ、安らかれと祈念するものです>

 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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